2017年11月4日土曜日

【書籍推薦】ノンフィクション・エッセイスト寺尾紗穂が見た日本統治時代のパラオの情景 『あのころのパラオをさがして』

著者の寺尾紗穂は、シンガーソングライター兼

エッセイストとして『評伝 川島芳子』で東大大学

院で修士号を取得(論文は後に文春新書で書

籍化)活動されている人で、本書は1920年から

終戦まで日本の統治下にあったパラオを、拾い

集めた証言をもとに、そこに暮らした日本人移

民民と現地島民の「日常」の視点から描き出す

作品で、研究書とエッセイの中間的な、「ノンフィ

クション・エッセイ」となっています。








司馬遼太郎が『坂の上の雲』で、帝国主義が悪であるという国際常識が

当時(明治・大正時代の国際政治下)は無く、そうした価値観が後世とは

まったく異なっていたことに留意するよう何度も述べているのは有名であ

るし、ヴェルサイユ条約の締結により、パラオが国際連盟の委託統治領

となってからは、「近代列強」としての「行政手腕を世界へ示すとき」として

日本が、まずは強く自らを意識したであろうことも想像に難くないと思う。 



著者は、自分自身が歴史学者でもないしノンフィクションライターであると

するには中途半端であるとしながらも、中嶋敦の作品を18年前に読んで

日本近代史の中で南洋がスルーされているのに大きな衝撃を受け、中嶋

敦が見た景色をこの目で見て、何かを感じてみたかった、と性急な善悪の

判断を抑えながら、「リサーチの思考」と「エッセイとしての感覚」のバランス

を取りつつ、「あのころのパラオ」の情景を様々な文献や聞き取り取材で真

摯に読み取ろうとしており、その情熱と行動力には感服させられる。



個人的な見解ですが、日本近代史におけるパラオのそれは、旧・満州、朝

鮮半島、台湾のそれと比べて、影が薄い気がします。繰り返しになりますが

司馬遼太郎の『坂の上の雲』で描写されるような明治期における少年の国

としての日本と、日英同盟を根拠に参戦し、「戦勝国入りした」第一次世界

大戦後の国家としての日本のメンタリティの違いが、「影の濃淡」のひとつ

の要素と思います。


一人の人間が、何かを愛するがゆえに、何かを言わないかも
しれないということ。とるにたりないような小さな事実でも、直接
触れなければ、こうだったんだよと教えてもらえなければ、なか
なか想像できないこと。(同書p.213)


この論点は、凡庸なようで鋭いと思う。戦争は生産性を伴わない行為で

あるが、政治の延長である以上は国家の野心と、国民の夢や希望が交

錯する時代は存在するし、「勝てば官軍」ではなかった場合に、人々の

心中で交差する感情を聞き取ろうとしても、正確に声なきものの声を代

弁しようとする、ノンフィクション・ライティングの使命を果たせないことが

十分にあり得ることを著者が自覚している一節だからです。



取材先で聞いた「支那の夜」を歌うパラオ人の声、愛憎混じる影……



かつて「楽園」と呼ばれ、日本人移民(沖縄人、朝鮮人もいた)と現地人

と織り成す暮らしが存在した島、パラオ。諸々の歴史的事実や人々の

感情が紡がれるルポが訴えかけてくるのは、親日国とされるパラオが

経験した「あのころのパラオ」のリアルさを身近に感じて欲しいとの熱意

と、日本へ帰国後に病死した中嶋敦へ、生き残った者たちの今の声を

届けようとの思いなのかもしれない。



戦中派が世を去って歴史の記憶が薄れる今こそ、広い世代に読んでほ

しい貴重なエピソードが詰まった一冊と思います。


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