著者のジェイムズ・リーバンクス氏は、『ピーター
ラビット』の故郷、イギリスの湖水地方で六百年
以上つづく羊飼いの家系に生まれ、羊飼いの仕
事を生業とする傍ら、ユネスコの持続可能な観
光についてのアドバイザーを務めている。同書
は、と きに厳しい自然の中の暮らし、生業への
葛藤……世界で最も古い職業の一つである羊
飼いの生活をユーモアを交え、祖父・祖母の時
代を含め、四季の移ろいと共に述べた一冊で
す。
牧羊は決して、「牧歌」的な生活ではない。 羊たちの冬を越す餌となる
干草作りは過酷な肉体労働だ。梅雨で腐らないうちに要領よくしなけれ
ばならないし、シーズンを問わず羊たちの健康管理(病気や害虫)に気
を配り、他の牧羊業者との羊の売買商談では、自分が育てる羊の遺伝
子という名前の「品質管理」を先祖代々の感性を頼りに背負わねばなら
ない。
著者が父親とする、羊毛刈り取りの生産性勝負は微笑ましくも、この仕事
の過酷さを伝えてくれる。しかし、著者の湖水地方の美しい風景描写と詩
的な文章が、魅力的に読者をまだ見知らぬ世界へ誘ってくれる。
本書は、ワーズワースやロバート・フロストなどの言葉がしばしば引用され
るし、著者はオックス・フォード大学も卒業しているが、現代の産業社会が
「どこかへ行く」ことや「人生で何かを成し遂げること」の大切さに取り憑か
れていることを知ってからは、地元に残って肉体労働をすることにはたい
した価値がないという考えが、大嫌いだとしている。 他に望むものなど何
もない。これがわたしの人生だ、と。
実に堂々とした姿勢であるし、英国人の、keep a stiff upper lip(困難な状
況でも、本当の感情を隠して冷静さを保つ)や、不屈の精神を持つ本当の
イギリス人精神=ジョンブル魂とは彼のような男のことを言うのだろう。
余談になりますが、彼は文書作成がとても苦手でPCタイピングも数本の
指先でポチポチ入力と告白する、お茶目なところがあります。
見知らぬ羊飼いの生活や人生を聞かされても、と思う向きもあるかもしれ
ませんが、本書は階級社会の英国において著者が、いまなお先祖代々の
牧羊共同体を守っていること、社会の梯子を登って学問を得たこと(これは
構内清掃員の仕事をしながらコロンビア大学を卒業したガッツ・フィリーパイ
氏の話に負けず劣らずと思う) 、 次第に侵食されいく伝統的景観への警鐘
や、家族のありかたや役割など、様々な社会的要素を含んでおり、さまざま
な賞にもノミネートされています。
牧羊者(ファーマー)家計に生まれた男の自伝としてだけでなく、「働く」という
ことを問い直す一冊にもなっており(職業に貴賎なしということが本当である
ならば彼のような姿勢を言うのだろう)、他に類を見ないノンフィクションです。
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