近所のガーデンの隠れるような小道で綺麗な花が咲いていた。
人生の路上(ロード)は至るところに枝道がある。
魯迅は小説『故郷』の結びで有名な、「思うに希望とは、もともとあるもの
とも言えぬし、ないものとも言えない。 それは地上の道のようなもので
ある。 もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる
のだ」と、言った。
けど、「道」(ロード)の奥深さは近代中国文学に限らない。
本日紹介するのは、「Simple」読書会大阪に参加したときからの一冊
で、あのノーベル賞授賞式不参加のボブ・ディラン氏が「僕の人生を
変えた本」と言う、ジャック・ケルアックの小説「オン・ザ・ロード」です。
話は著者の自伝的内容となっている。
時は60年代のアメリカ。経済的には何不自由ない生活と中産階級
とホワイトカラー層の厚みが広がり始めた時代ですが、若者たちは
この現況に背中を向けるカウンターカルチャーの扉が開いた広大な
アメリカ大陸を、語り手である若い作家のサルとその親友のディーン
は、叛逆的に自由を求めてヒッチハイクなどで疾駆する。
彼らはニューヨークからサンフランシスコへ、黒人音楽の聖地で
あるニューオリンズへ、果ては大陸を南下してメキシコ・シティへ。
自由のまま、行き当たりばったりで、まるで季節労働者(ホーボ)
のように流れて移ろいゆく路上(ロード)の男の人生が描かれる。
飲んだり、語ったり、ジャズに、行きずりの恋やセックスをしたり。
終盤のある晩、マディソン街の角で、朝の三時に彼らは話し込む。
「なんでも好きなことをやっていい、そんなのはこれっぽちも気にならない
ってな。でもな、おい、年取ってくると、気になることが積みあがってくる。
いつの日か、おまえとおれは夜明けによろよろとそこらの路地にさまよい
こんでゴミの缶をのぞくことになるんだよ」
「かもな。なりたきゃ、もちろん、なれる、そういうことだ。そういう終わり方
も悪くないよ。政治家とか金持ちといった他人どもがなにを望もうが、そん
なのとは関わりなしで一生生きる。だれも邪魔しない、すいすいと自分の
道を進めるぞ」 ( p.400 )
この小説は、ストーリーというよりも、アメリカの叙事詩のような
気がする。リスクを取って開拓民が土地を開き、時代は流れて
戦後の若者たちは、既存に囚われずに「自分の内にある何か」
を開拓していく。何だってできる、自分達でやる、というロックン
ロールな精神(パンク精神)の源流と、冗長ながらも、広大なアメ
リカ大陸の情景を映し出す文章は、なんとも広大で不思議な魅
力に満ち溢れている。
正直、どの章から読んでも悪くないと思う。
主人公達は、昔に奴隷を脱した黒人たちががギターとブルーズ
を携えて悠々として旅していたような原初的な光景に憧れてたの
だろうか、と思ってしまった(奔放さの中にあるものこそ人間性の
解放であるという思想だろうか)。
働き方改革が叫ばれるなかで、「路上」(ロード)で生きる男たちの
姿は僕らを旅に誘うし、何か覚悟に似たものを迫らせる気がする。
おはようございます。
返信削除原作は未読ですが、映画は観ました。
映画は原作ファンからかなり厳しい評価を受けた様ですが、
私は決して嫌いな映画ではなかったので
原作の方もいつか読んでみたいと思っています。
こんにちわ。
削除僕は逆に映画版を観てないので、観てみようと思います。
最近、予告動画をYouTubeで発見して、気になっていて。
原作はヒッピーのバイブルともされているようですが、
結構手強い作品なので、さもありなんだなと感じました。