2016年12月27日火曜日

【洋画推薦:使命か執念か?対テロ戦争の歴史の転換点】『ゼロ・ダーク・サーティー』(2012年)

もとより、基本的に映画はフィクションである。


あのフェデリゴ・フェリーニの言葉を借りると、「虚構には、

日常的で見せ掛けの現実よりも、遥かに深い真実味があ

る。本物でなければならないのは、見たり、表現したりする

時に経験する感情である」。極論を言えば、映画は芸術と

言う以前に、「面白い虚構で俗世間の見世物」ですと言う

ことですね。

ならば、政治的色彩のある戦争作品はどうなるか?




本作品『ゼロ・ダーク・サーティ』は対テロ戦争の転換点とされる、2011年

5月2日のビンラディン殺害作戦達成の経緯を描くサスペンス作品です。

2013年度アカデミー賞音響編集賞受賞作品。


米国同時多発テロ後、巨額の資源を投入しながらもいまだビンラディン

の居所を発見出来ない、CIAのパキスタン支局に若き分析官のマヤが

配属される。情報を引き出すための凄惨な拷問現場、自爆テロによる

同僚の死、無能な上層部の対応などを乗り越えながら、パキスタンの

地方都市アボッタバードにあるビンラディンの潜伏先を遂に発見する。


ステルス型のUH-60ブラック・ホークが海軍対テロ特殊部隊を乗せて

基地を発進した運命の時刻は00:30(ゼロ・ダーク・サーティー)・・・




キャスリン・ビグロー監督によるドキュメント

風の演出と、まるで戦闘現場を目の前で見

ているような夜間戦闘シーンの静寂さと緊

張感は観客に歴史の「転換点」を痛烈に伝

えてきます。もちろん、本作を対テロ戦争の

プロパガンダ映画とする向きもあるだろう。


しかし、フェリーニの言葉を再び借りるなら

「本物でなければならないのは、見たり、表

現したりする時に経験する感情である」。主

人公のマヤが使命感と執念の境目で任務

を遂行し、ビンラディンの死を確認し、帰国

便内で涙する姿は空虚な現実の象徴だ。





本作は、あのビンラディンの追跡・殺害という、政治的要素の

極めて強い要素のあるテーマを扱いながら政治色よりもむし

ろ、孤高のヒロインがビンラディンという「マクガフィン」に振り

回され、苦悩する様相を技巧表現することで、政治色になる

のを避けながら「対テロ戦争の詳細」を徹頭徹尾描いている

ところが妙味と思います。



ビグロー監督が得意とする、戦場と諜報の世界に生きている

プロフェッショナルたちを臨場感たっぷりにハードに描写する

特に終盤の殺害任務を帯びた特殊部隊の侵入・戦闘シーン

は、ナイトビジョンの視点も交えつつ「虚構と現実の交差点」

のようで視聴者を「緊迫の作戦現場」に連れていってくれます。



尚、ここで「マクガフィン」とは作品を動かす上で重要であるも

のの、それがそうであるという理由や必然性が存在しないも

のや、代替出来るもの、を意味します。弱者の戦略たるテロ

リズムは言うまでもなく、誰によってでも代替されるものです。


あれから世界はどれほど変化したか?

あれから世界はどれほど平穏になったのか?


繰り返しになりますがこの答えは、主人公の彼女が帰国便の

輸送機内で涙したことに尽きる、と思う。


対テロ戦争の裏側を描いたサスペンスアクションとして秀逸な

お勧めの一本です。


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