2017年9月30日土曜日

【書籍推薦】ある独立した女性がベルリンの散策で見つけたものとは? 『百年の散歩』

私小説というジャンル自体、現代では数少ないと

思う。絵空事のストーリーを楽しむロマン主義

否定する形で生じたリアリズム写実主義)の極

北に相当する作品で、身辺や自分自身を語る作

品が私小説というジャンルと思うが、この作品は

エッセイ風にも感じられるし、著者の言葉遊び(韻

を踏む)や、主人公のハードボイルド探偵のよう

な視線や空想世界が闊達に描かれるなど、私小

説のイメージを超えた、ベルリンという街を通した

自分(独立した女性像)と「都市論」になっている。









主人公のわたしは今日もあの人を待っている、ベルリンの通りを歩きながら。

都市は官能の遊園地、革命の練習台、孤独を食べるレストラン、言葉の作業

場、と思いながら。世界中から人々が集まるベルリンの街を歩くと、経済の運

河に流され、さまよい生きる人たちの物語が、かつて戦火に焼かれ国境に分

断された土地の記憶が立ち上がる。



本作はガルシア・マルケス『百年の孤独』を想起させるタイトルだが、 オマージ

ュと言うよりはむしろ、2006年よりベルリン在住の多和田氏が街を歩きながら

発見したり感じたりしたことを主人公に託し、「あの人」に最後の最後まで会うこ

とがない(あの人の性別は作品中では語られない) 都市での孤独と、戦後のベ

ルリンという都市が歩んできた「孤独さ」を百年という数字にあやかって表現して

いる気もする。しかし、その孤独さは、瑞々しい文体と刹那さ、先ほども述べた言

葉遊び、空想、様々な歴史と文明が入り乱れるベルリンに実在する10の通りの

情景を舞台にして、紛れ込んでいきます。


作家はなんで頼まれもしないのに自分を私小説で話すのか?


以前、上野千鶴子氏が多和田氏の作品を、ジェンダー論の視点から絶賛した記

憶があるが、この作品はジェンダー論を感じさせるものでもないし、逆にベルリン

という都市がすぐになじめる感じでないことが伝わってくる。(客観的にどうである

のかは別として)。しかし、僕の記憶が誤りでなければ多和田氏はまだ独身のは

ずであるし、異国の地で感じることが多々あるはずな以上、本書は現代における

私小説の新しい答え(海外における独立した女性像)を出す上での興味深い一冊

になると思います。


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