舞台は1970年代のアルゼンチンで、寄宿学校の
教員募集の広告記事を見て応募した、イングラ
ンド南部の農村生まれで、旧英国植民地出身の
両親を持つトム・ミッチェル氏は、幼少期から動
物と自然への愛と、未知なる国への好奇心を育
んできた。
ある夜、ウルグアイの海岸で偶然にもタンカーの
石油流出事故で苦しんでいたペンギンを彼は助
け、寄宿学校の屋上で暮らすようにしたことから
心温まる日々が始まっていく……
-----------------------------------------------------
【動物/自然系ノンフィクションの過去記事】
●『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』
●『羊飼いの暮らし』
●『社員をサーフィンに行かせよう』
-----------------------------------------------------
絶妙の時代背景のなかで起こった、感動のノンフィクションと思う。
なにしろ、フォークランド紛争勃発前で、ファン・ペロン大統領政権
の下、殺人や誘拐は日常茶飯事、急激なインフレ経済、国民は秩
序を回復させるには軍部が動くしかないと思っているとされた状況
下のアルゼンチンで起こった、ひょうきんなペンギンと飼育に悪戦
苦闘する著者、そして学校の生徒達や、南米の大自然と「なんとも
おおらかでユーモラス」なストーリーの数々に微笑まざるを得ない。
このペンギンに『かもめのジョナサン』のスペイン語版『ファン・サル
バドール・ガビーダ』を思わず拝借し、ファン・サルバドールと命名
するくだりや、ペンギンが寄宿舎のプールを泳いだことをきっかけ
に、劣等感で苦悩する生徒が優等生に変化したくだりは、本書の
邦題『人生を変えてくれたペンギン』に相応しい。もちろん、ファン
・サルバドールは、ジョナサンのように人生の高みを目指して修行
に勤しんだりはしないが、仲間が大勢亡くなった石油流出事故を生
き延びて、先の見えない暗い時代に、著者だけでなく、周囲の人々
に心休まる時間を与えて、心のなかの何かを変えた意味では、癒し
系ペンギン版のジョナサンと言って良いだろうか。
著者は本職作家ではないので、決して技巧的文章ではありません
けども、ファン・サルバドールと過ごした日々を振り返る彼の眼差し
は実に優しく、動物と地球への愛情に満ちている人なのがありあり
と感じられます(著者は現在、農場経営と趣味で鳥の絵を描く日々
を過ごしているとのこと)。
水族館が好きな人、すべての自然を愛する人にお薦めの一冊です。
2017年10月29日日曜日
2017年10月28日土曜日
【洋画推薦】米国・女性ロビイストの冷徹な戦略力と銃社会の行方は? 『女神の見えざる手』
本作品は、天才的な戦略を駆使して米国の政
治を影で動かすロビイストの知られざる実態に
ついて、『恋に落ちたシェイクスピア』のジョン・
マッデン監督が、ビンラディン捜索暗殺作戦で
苦闘するCIA分析官をドキュメンタリーさながら
の臨場感ある迫力で主演した『ゼロ・ダーク・
サーティ』のジェシカ・チャスティンを迎え、鋭く
迫った社会派サスペンスです。(ゼロ・ダーク・
サーティの過去記事はこちらをご覧ください)。
政府を裏で動かす戦略のプロ“ロビイスト”。その天才的な戦略で
ロビー活動を仕掛けるエリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)
は、真っ赤なルージュで一流ブランドとハイヒールに身を包み、大手
ロビー会社で花形ロビイストとして辣腕をふるう日々。ある日、彼女
は銃の所持を支持する仕事を断り、銃規制派の小さな会社に移籍
する。全米500万人もの銃愛好家、そして莫大な財力を誇る敵陣営
に立ち向かうロビイストたち。大胆なアイデアと決断力で、難しいと
思われた仕事に勝利の兆しが見えてきた矢先に、エリザベスの赤
裸々なプライベートが露呈され、さらに予想外の事件が事態を悪化
させていく……。
個人や団体が政治的影響を及ぼすことを目的として行う私的活動
をロビー活動といい、米国ユダヤ系団体の「イスラエル・ロビー」や
全米ライフル協会(NRF)は国際報道で耳にすることも多いだろう。
日本では政治家との癒着・贈賄のイメージが強いのか表立つより
も逆に、米国内でのロビー活動の弱さからかトヨタのメキシコ工場
新設に対するトランプ大統領の「口撃」を呼び込んでしまった感じ
もあるが、 逆に米国は3万人ものロビイストがいるとされ、連邦制
と思想の坩堝であることを痛感させられる。
本作で、ジェシカ・チャスティンは本年度
ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ドラ
マ部門)ノミネートに相応しい磨き上げた
演技で、常軌逸脱寸前の天才的戦略ロビ
イストになり、観客を米国政治の裏側の世
界にぐいぐい引き込む。監督や脚本のセ
ンスが、彼女の鬼気迫る演技(睡眠障害
を抱えての仕事魔、恋愛はエスコートサー
ビスで済ませる、味方すら欺く戦略の達
人)に逆に頼っている面白い構成と思う。
ラスベガス銃乱射事件もあり、図らずしも銃社会の米国の問題が
提示されたタイミングで日本公開された本作だが、むしろ銃規制
の問題そのものより、生き馬の目を抜くロビー活動の世界で、孫
子が「兵は欺道なり(戦争とは敵を欺くことである)」としたように
主人公が倫理と戦いの法則を分離させ、戦略戦術の達成そのも
のを目的とするかのごとく冷徹非常に遂行させていく姿は、政治
スリラーでの新しいヒロイン像であるし、自分の身は自分で守る
しかない米国の現実を象徴しているのだろう(銃規制派であれ反
対派も、実際の問題として)。
もちろんマキアヴェッリが「必要に迫られた際に大胆で果敢であるこ
とは、思慮に富むことと同じと言ってよい」(フィレンツェ史)と述べた
のように、中世イタリアだけでなく現代米国政治で生き残ろうとする
主人公にとっても権謀術数は「目的が手段を正当化する」ことなのを
痛感させられることは言うまでもないと思う。
この意味で、作品の原題「Miss Sloane」を、「女神の見えざる手」と
意訳したのは見事と思う。本作品は、主人公が張り巡らしていく計
略という名の「見えざる手」が政治権力が生む利潤という社会的な
地位にしがみ付こうとする旧態依然の男達に、「見えざる手」で「女
神」(自由の象徴)が一撃見舞う作品だからだ。
米国政治の裏舞台に興味のある方にもお薦めの作品です。
治を影で動かすロビイストの知られざる実態に
ついて、『恋に落ちたシェイクスピア』のジョン・
マッデン監督が、ビンラディン捜索暗殺作戦で
苦闘するCIA分析官をドキュメンタリーさながら
の臨場感ある迫力で主演した『ゼロ・ダーク・
サーティ』のジェシカ・チャスティンを迎え、鋭く
迫った社会派サスペンスです。(ゼロ・ダーク・
サーティの過去記事はこちらをご覧ください)。
政府を裏で動かす戦略のプロ“ロビイスト”。その天才的な戦略で
ロビー活動を仕掛けるエリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)
は、真っ赤なルージュで一流ブランドとハイヒールに身を包み、大手
ロビー会社で花形ロビイストとして辣腕をふるう日々。ある日、彼女
は銃の所持を支持する仕事を断り、銃規制派の小さな会社に移籍
する。全米500万人もの銃愛好家、そして莫大な財力を誇る敵陣営
に立ち向かうロビイストたち。大胆なアイデアと決断力で、難しいと
思われた仕事に勝利の兆しが見えてきた矢先に、エリザベスの赤
裸々なプライベートが露呈され、さらに予想外の事件が事態を悪化
させていく……。
個人や団体が政治的影響を及ぼすことを目的として行う私的活動
をロビー活動といい、米国ユダヤ系団体の「イスラエル・ロビー」や
全米ライフル協会(NRF)は国際報道で耳にすることも多いだろう。
日本では政治家との癒着・贈賄のイメージが強いのか表立つより
も逆に、米国内でのロビー活動の弱さからかトヨタのメキシコ工場
新設に対するトランプ大統領の「口撃」を呼び込んでしまった感じ
もあるが、 逆に米国は3万人ものロビイストがいるとされ、連邦制
と思想の坩堝であることを痛感させられる。
本作で、ジェシカ・チャスティンは本年度
ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ドラ
マ部門)ノミネートに相応しい磨き上げた
演技で、常軌逸脱寸前の天才的戦略ロビ
イストになり、観客を米国政治の裏側の世
界にぐいぐい引き込む。監督や脚本のセ
ンスが、彼女の鬼気迫る演技(睡眠障害
を抱えての仕事魔、恋愛はエスコートサー
ビスで済ませる、味方すら欺く戦略の達
人)に逆に頼っている面白い構成と思う。
ラスベガス銃乱射事件もあり、図らずしも銃社会の米国の問題が
提示されたタイミングで日本公開された本作だが、むしろ銃規制
の問題そのものより、生き馬の目を抜くロビー活動の世界で、孫
子が「兵は欺道なり(戦争とは敵を欺くことである)」としたように
主人公が倫理と戦いの法則を分離させ、戦略戦術の達成そのも
のを目的とするかのごとく冷徹非常に遂行させていく姿は、政治
スリラーでの新しいヒロイン像であるし、自分の身は自分で守る
しかない米国の現実を象徴しているのだろう(銃規制派であれ反
対派も、実際の問題として)。
もちろんマキアヴェッリが「必要に迫られた際に大胆で果敢であるこ
とは、思慮に富むことと同じと言ってよい」(フィレンツェ史)と述べた
のように、中世イタリアだけでなく現代米国政治で生き残ろうとする
主人公にとっても権謀術数は「目的が手段を正当化する」ことなのを
痛感させられることは言うまでもないと思う。
この意味で、作品の原題「Miss Sloane」を、「女神の見えざる手」と
意訳したのは見事と思う。本作品は、主人公が張り巡らしていく計
略という名の「見えざる手」が政治権力が生む利潤という社会的な
地位にしがみ付こうとする旧態依然の男達に、「見えざる手」で「女
神」(自由の象徴)が一撃見舞う作品だからだ。
米国政治の裏舞台に興味のある方にもお薦めの作品です。
2017年10月22日日曜日
【洋楽推薦】若返ったリアムの現代版クラシック・ロック・ソロアルバム 『AS YOU WERE』
エルビス・プレスリー以前には何もなかっ
た、と言われるロックンロールだが、この
男ことリアム・ギャラガーが英国マンチェス
ターで、ジョン・ライドン、ジョン・レノン、イ
アン・ブラウンの曲に出会うまでの、彼は
何もない街の労働者でしかなかった。しか
し、後にUKの音楽シーンは彼と彼の兄に
よって新しい普遍性を生み出すのだった。
---------------------------------------------------------------------------
【関連記事】
●『映画 オアシス:スーパーソニック』
---------------------------------------------------------------------------
ジョン・ライドンばりのカリスマ性と、ジョン・レノンのウイットさ
と、イアン・ブラウンのセクシャルがミックスされた声質と強烈
な行動力(粗暴と言うほうが正確だが)を武器にロックスター
の階段を駆け上がった彼は、オアシス、ビーディーアイ解散
を経て今回、見事なソロ・アルバムを完成させた。自分だけ
の作曲・プロデュースではなく、グレッグ・オースティンなどの
素晴らしきブレーンとの共同制作だが、彼が魅力的なロック
ンロールシンガーであることを証明した作品になっています。
た、と言われるロックンロールだが、この
男ことリアム・ギャラガーが英国マンチェス
ターで、ジョン・ライドン、ジョン・レノン、イ
アン・ブラウンの曲に出会うまでの、彼は
何もない街の労働者でしかなかった。しか
し、後にUKの音楽シーンは彼と彼の兄に
よって新しい普遍性を生み出すのだった。
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【関連記事】
●『映画 オアシス:スーパーソニック』
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ジョン・ライドンばりのカリスマ性と、ジョン・レノンのウイットさ
と、イアン・ブラウンのセクシャルがミックスされた声質と強烈
な行動力(粗暴と言うほうが正確だが)を武器にロックスター
の階段を駆け上がった彼は、オアシス、ビーディーアイ解散
を経て今回、見事なソロ・アルバムを完成させた。自分だけ
の作曲・プロデュースではなく、グレッグ・オースティンなどの
素晴らしきブレーンとの共同制作だが、彼が魅力的なロック
ンロールシンガーであることを証明した作品になっています。
アルバムの筆頭を飾る、ロックンロール・チューン『Wall Of Glass』
は、重く歪むノイジーなギターとブルースハープの出だし、リアム
御定番の高慢不遜な歌声と、ゴスペル風の女性コーラスのヴィヴ
ラートが絡んでいく展開は、古典的ながらも埃臭さはなく、リアムの
声のコンディションも全盛期に匹敵するかのようで(早朝ランニング
を日課にした成果が出てますねぇ)、バンドの形式を離れてソロ活
動になった彼が見つけ出した答えとも言える曲になっています。
言うまでもなく答えは、ロックンロールは今でも不滅なことだろう。
オアシスの雰囲気を感じる、『For What It's Worth』も素晴らしい。
彼は「先に吠えたもの勝ち」のような態度が基本な一方で、感傷的で
ある意味弱音を見せる曲を歌って(オアシス時代は『Don't go away』
あたりの曲だろうか)、高慢不遜なキャラが鈍ってしまうのも魅力です。
特に「言っても仕方ないけど/傷つけてごめん/でも体の奥では炎が
燃えている」という率直な心境が歌詞で表現されていて、魅力的です。
なお、誰に向けての心境メッセージなのかは想像の通りかな?(笑)
全体を通して、昔の自分に恥じない自分であろうとするリアムの思いが
不器用ながらも成長して表現されているソロ・デビューアルバムだと思い
ます。
2017年10月21日土曜日
【書籍推薦】ロンドンの薫り高い珈琲店の店主の人情と正体とは? 『深煎りの魔女とカフェ・アルトの客人たち』
第5回ネット小説対象受賞作品で、著者の天見
ひつじ氏は、空と飛行機、お酒と珈琲が好きな
新人兼業作家です。『ビブリア古書堂の事件手
帳』のあと、レトロさやヴィンテージを背景にした
ノベルスは飽和している感がありますが、この作
品はコーヒー、焼き菓子、カクテルのふんだんな
薀蓄と、ビタースイートで心温まる人間模様のオ
ムニバスが店内の豊潤な薫りと絡まって、その
世界に同席しているような気分になります。
舞台は20世紀初頭ごろのロンドンのブルームズベリー街。
ひっそりと佇む、『カフェ・アルト』の女店主アルマは、「深煎り
の魔女」とあだ名され、彼女の珈琲、焼き菓子、カクテル、料
理に魅了される紳士淑女は数知れず。(話の冒頭で彼女が
ネル・ドリップで珈琲を淹れるシーンがあるが、この技術的
な意味がわかった読者は「渋い!」と思うこと必死だろう)。
そんな彼女の店で繰り広げられる、恋物語り、連続猫殺しの
推理、米国開拓帰りの英国紳士のウイットな話、仕事バカな
若き保険市場マンの話(英国はあの有名な船舶保険ロイズ
のある国ですね)、老いぼれた元炭鉱労働者の友情話、そし
て徐々に姿を見せてくるアルマの、お師匠様の正体とアルマ
自身の秘密などが、ほのかに苦くて甘い魔法にかかったコー
ジー・ストーリーを織り成します。
この本を読みながら、気になったので食文化雑誌「dancyu」
(ダンチュウ)の2015年10月号の特集記事『コーヒー カフェ
ラテ エスプレッソ』を読み返してみると、なるほど珈琲という
日常的飲み物は本来、求道的に向き会わなければならない
ものではないが、大手店舗やお客の顔色を気にしていたら
負けてしまう、「僕(私)勝負」の世界であるし、ドリップの技
術や、牛乳の泡立てなど一方では腕前が試される世界観で
あるのも、また然りなのを痛感すると共に、作者はコーヒーを
本当に愛して勉強しているし、これを土台にした世界を表現
したかったのだなぁ、と思いました。
繰り返しですが、レトロとファンタジーという手垢の付いたジャ
ンルで、著者は上記の薀蓄にビターでスイートな人間模様を
絡ませることで、普遍的で王道な娯楽小説を手堅くやっての
けています。コーヒー片手に休息して読みたくなる一冊です。
ひつじ氏は、空と飛行機、お酒と珈琲が好きな
新人兼業作家です。『ビブリア古書堂の事件手
帳』のあと、レトロさやヴィンテージを背景にした
ノベルスは飽和している感がありますが、この作
品はコーヒー、焼き菓子、カクテルのふんだんな
薀蓄と、ビタースイートで心温まる人間模様のオ
ムニバスが店内の豊潤な薫りと絡まって、その
世界に同席しているような気分になります。
舞台は20世紀初頭ごろのロンドンのブルームズベリー街。
ひっそりと佇む、『カフェ・アルト』の女店主アルマは、「深煎り
の魔女」とあだ名され、彼女の珈琲、焼き菓子、カクテル、料
理に魅了される紳士淑女は数知れず。(話の冒頭で彼女が
ネル・ドリップで珈琲を淹れるシーンがあるが、この技術的
な意味がわかった読者は「渋い!」と思うこと必死だろう)。
そんな彼女の店で繰り広げられる、恋物語り、連続猫殺しの
推理、米国開拓帰りの英国紳士のウイットな話、仕事バカな
若き保険市場マンの話(英国はあの有名な船舶保険ロイズ
のある国ですね)、老いぼれた元炭鉱労働者の友情話、そし
て徐々に姿を見せてくるアルマの、お師匠様の正体とアルマ
自身の秘密などが、ほのかに苦くて甘い魔法にかかったコー
ジー・ストーリーを織り成します。
この本を読みながら、気になったので食文化雑誌「dancyu」
(ダンチュウ)の2015年10月号の特集記事『コーヒー カフェ
ラテ エスプレッソ』を読み返してみると、なるほど珈琲という
日常的飲み物は本来、求道的に向き会わなければならない
ものではないが、大手店舗やお客の顔色を気にしていたら
負けてしまう、「僕(私)勝負」の世界であるし、ドリップの技
術や、牛乳の泡立てなど一方では腕前が試される世界観で
あるのも、また然りなのを痛感すると共に、作者はコーヒーを
本当に愛して勉強しているし、これを土台にした世界を表現
したかったのだなぁ、と思いました。
繰り返しですが、レトロとファンタジーという手垢の付いたジャ
ンルで、著者は上記の薀蓄にビターでスイートな人間模様を
絡ませることで、普遍的で王道な娯楽小説を手堅くやっての
けています。コーヒー片手に休息して読みたくなる一冊です。
2017年10月15日日曜日
【書籍推薦】シンプルこそ難しいが素晴らしい人生と卵料理 辻仁成『エッグマン』
元ECHOESの作詞・作曲・ボーカルの辻仁成さ
んが初めて手がける料理小説です。芥川賞受
賞作品『海峡の光』では、元いじめられっこの刑
務官と、元いじめっこの受刑者という、人生の暗
流と未来を描かれてましたが、この作品は元コッ
クの主人公が作る卵料理を通して、人生の愛お
しさと温もりがポップに伝わってくる一冊になって
ます。
創作の拠点をパリに移して15年、気負わずに軽
妙洒脱に書くようになったか、と思いました。
元料理人のサトジは一目惚れした相手のマヨと、12年ぶりに再会。
彼女は離婚を経験し、娘と二人で静かに暮らしていた。別れの理由
は夫の横暴なふるまい。このことが娘のウフの心の傷になっている。
決して豊かとはいえない母娘の暮らしだが、スーパーで偶然出会った
サトジとマヨはひょんなことから卵料理をめぐる人生の渦に運ばれな
がら、ふたりの共通の行き着けの居酒屋で顔を合わせながらなんとも
不器用な関係を育んでいく……
ECHOESの時代は名曲『ZOO 愛をください』のようにシニカルな表現
をしていた人が、不器用な男を主人公にしてまわりの人間に温もりを
もたらす作品を書いているので、一気に感心して微笑みながら読んで
しまいました。物語の中心に出てくる卵料理も決して超絶技巧でない
と、作れないものではないし(技巧に越したことはないが) 、むしろそ
のことが、人生も料理もシンプルこそが難しいが、ここに幸せがある
んだ、ということを心と食欲(読んでいるだけで食べたくなる)に伝える
短編連作エンターテイメントになっています。
表紙の主人公の作画は、オノ・ナツメさん。欧米風の漫画を描いたら
彼女の右に出る人はいないと思います。そして、日本を離れてフラン
スに創作の場を移した辻さんですが、パリの同時多発テロ後も、 誰が
誰となく自由を求め「カフェに行こう」と市民たちが声を掛け合う姿など
を見たりして湧き上がってきた人生観は色々あると思います。
例えばマヨの元旦那さんが、粗暴でありながら、心根は粗暴ではなく
逆に娘のマヨが、その時がいつか来たならお父さんに会いたいと話
すくだりがあるのですが、これは素直な意味でシングルファーザーと
して生きておられる辻さんの優しい背姿を思い起こさせます。
どうやら、この作品はフランスから日本へと不器用な優しさと寛容さ
の風を届けようとする一冊であるかもしれないですね。
んが初めて手がける料理小説です。芥川賞受
賞作品『海峡の光』では、元いじめられっこの刑
務官と、元いじめっこの受刑者という、人生の暗
流と未来を描かれてましたが、この作品は元コッ
クの主人公が作る卵料理を通して、人生の愛お
しさと温もりがポップに伝わってくる一冊になって
ます。
創作の拠点をパリに移して15年、気負わずに軽
妙洒脱に書くようになったか、と思いました。
元料理人のサトジは一目惚れした相手のマヨと、12年ぶりに再会。
彼女は離婚を経験し、娘と二人で静かに暮らしていた。別れの理由
は夫の横暴なふるまい。このことが娘のウフの心の傷になっている。
決して豊かとはいえない母娘の暮らしだが、スーパーで偶然出会った
サトジとマヨはひょんなことから卵料理をめぐる人生の渦に運ばれな
がら、ふたりの共通の行き着けの居酒屋で顔を合わせながらなんとも
不器用な関係を育んでいく……
ECHOESの時代は名曲『ZOO 愛をください』のようにシニカルな表現
をしていた人が、不器用な男を主人公にしてまわりの人間に温もりを
もたらす作品を書いているので、一気に感心して微笑みながら読んで
しまいました。物語の中心に出てくる卵料理も決して超絶技巧でない
と、作れないものではないし(技巧に越したことはないが) 、むしろそ
のことが、人生も料理もシンプルこそが難しいが、ここに幸せがある
んだ、ということを心と食欲(読んでいるだけで食べたくなる)に伝える
短編連作エンターテイメントになっています。
表紙の主人公の作画は、オノ・ナツメさん。欧米風の漫画を描いたら
彼女の右に出る人はいないと思います。そして、日本を離れてフラン
スに創作の場を移した辻さんですが、パリの同時多発テロ後も、 誰が
誰となく自由を求め「カフェに行こう」と市民たちが声を掛け合う姿など
を見たりして湧き上がってきた人生観は色々あると思います。
例えばマヨの元旦那さんが、粗暴でありながら、心根は粗暴ではなく
逆に娘のマヨが、その時がいつか来たならお父さんに会いたいと話
すくだりがあるのですが、これは素直な意味でシングルファーザーと
して生きておられる辻さんの優しい背姿を思い起こさせます。
どうやら、この作品はフランスから日本へと不器用な優しさと寛容さ
の風を届けようとする一冊であるかもしれないですね。
2017年10月14日土曜日
【洋楽雑感】英国の国民的ロックバンド、ステレオフォニックスが奏でる米国南部の薫り 『Maybe Tomorow』
英国ウェールズ地方の田舎町から飛び出
し、90年代のブリットポップ終焉と、その後
のギターロック不況を壁を乗り越えてきた
UKの国民的な労働者階級バンドと言え
ば、ステレオフォニックスの他ないだろう。
前回の記事で紹介した、『ヨーロッパ・コーリング』でも今や
UK音楽シーンのチャートを占めるのは高額の授業料を払う
ミュージシャン養成学校を卒業した、ミドルクラス以上の若
者たち、という実情が述べられており、これはビートルズは
無論のこと、セックス・ピストルズ、ザ・スミス、オアシスなど
名だたる労働者階級ロックンロール・バンドの後釜が登場
しない文化的危機として嘆く人も多いだろう。
同期のバンドが去っていくなか、ステレオフォニックスは王道
と普遍のギターロックを鳴らし続けてきたバンドで、 UK音楽
の特徴の一つである「ひねくれ」感がない。彼らが敬愛する
影響を受けたバンドは、AC/DC、レッド・ツェッペリン、エア
ロスミス、ZZトップ、ゲーリー・オールドマン・ブラザーズなど
骨太で男臭いサウンドばかりだ。(田舎出身の彼らにとって
入手可能な音楽は、メジャーなものしかなかっただろうことも
想像できるのだが、これはまた別の話しで)。
彼らの音楽を簡単に分類すると、ポップで力強いストレートな
ロック(あるいは米国の初期パールジャムのような70年代調
のハードロック)、古典作品への敬愛を感じさせるアメリカの
ルーツ・ミュージック、叙情的でスペクタクルな曲群(特にスト
リングスが効いている8枚目のアルバム)からなっています。
今回紹介する曲は、映画『クラッシュ』(2005年アカデミー賞作品賞受
賞)のエンディング曲として使用された、「Maybe Tomorrow」です。
米国南部のルーツミュージックに影響を受けた曲で、歌詞の内容は
暗めですが、ポジティブで成熟した空気に覆われたブルース曲に仕
上がっています。
こういう普遍で古典な曲を書けるUKバンドは再び出るだろうか?
し、90年代のブリットポップ終焉と、その後
のギターロック不況を壁を乗り越えてきた
UKの国民的な労働者階級バンドと言え
ば、ステレオフォニックスの他ないだろう。
前回の記事で紹介した、『ヨーロッパ・コーリング』でも今や
UK音楽シーンのチャートを占めるのは高額の授業料を払う
ミュージシャン養成学校を卒業した、ミドルクラス以上の若
者たち、という実情が述べられており、これはビートルズは
無論のこと、セックス・ピストルズ、ザ・スミス、オアシスなど
名だたる労働者階級ロックンロール・バンドの後釜が登場
しない文化的危機として嘆く人も多いだろう。
同期のバンドが去っていくなか、ステレオフォニックスは王道
と普遍のギターロックを鳴らし続けてきたバンドで、 UK音楽
の特徴の一つである「ひねくれ」感がない。彼らが敬愛する
影響を受けたバンドは、AC/DC、レッド・ツェッペリン、エア
ロスミス、ZZトップ、ゲーリー・オールドマン・ブラザーズなど
骨太で男臭いサウンドばかりだ。(田舎出身の彼らにとって
入手可能な音楽は、メジャーなものしかなかっただろうことも
想像できるのだが、これはまた別の話しで)。
彼らの音楽を簡単に分類すると、ポップで力強いストレートな
ロック(あるいは米国の初期パールジャムのような70年代調
のハードロック)、古典作品への敬愛を感じさせるアメリカの
ルーツ・ミュージック、叙情的でスペクタクルな曲群(特にスト
リングスが効いている8枚目のアルバム)からなっています。
今回紹介する曲は、映画『クラッシュ』(2005年アカデミー賞作品賞受
賞)のエンディング曲として使用された、「Maybe Tomorrow」です。
米国南部のルーツミュージックに影響を受けた曲で、歌詞の内容は
暗めですが、ポジティブで成熟した空気に覆われたブルース曲に仕
上がっています。
こういう普遍で古典な曲を書けるUKバンドは再び出るだろうか?
2017年10月8日日曜日
【書籍推薦】英国在住の日本人保育士兼ライターが地べたからパンク的にルポする英国政治事情 『ヨーロッパ・コーリング』
随分と前(学生時代)、日本の議会が英国議会
の討論と比べて作文答弁で面白みがなく、その
後、英国式を参考に議会答弁を改善(結果は別
として)した記憶があるが、僕個人の感覚では日
本国内でヨーロッパ関係の書籍は企画しても需
要が少ない気がする。
著者のブレイディみかこ氏は、96年から英国在
住の保育士兼ライターで、 本書は2014年3月か
ら、2016年2月までの英国と欧州の混迷を「労働
者階級(地べた)」からレポートした一冊です。
この本の題名を見て、ピンときた人も多いと思いますが、題名の
元ネタはUK音楽史上に名を残すパンク・ロックバンド、ザ・クラッ
シュの名曲『ロンドン・コーリング』です。著者自信も日本在住の
ころからパンク・ロックに傾倒(特にジョン・ライドン)しており、政
治のルポながら同書の節々で述べる意見には、パンクの精神が
打ち出されているのが特徴です。
ここでいうパンク精神とは一般的に次の意味を指すと思う。
Anyone Can Do It=誰だってやれる.
Do It Yourself=既成概念に囚われずに 自分達でやる
貧困でも尊厳はあるとする、キリスト教文化が根底にある欧米の
社会は、特に英国における労働者階級ヒーローや、生活保護の
申請も今は他人の力を借りるが、次を目指し頑張ろうとする態度
と見るが、逆に日本は貧困は恥とする意識が先立つのか、申請
すら躊躇うものが多いし、著者の次の論点は実に鋭い。
同書は英国の貧民街では、一日三食を食べることが出来ない
子供たちのために学校やコミュニティセンターで、無料で朝食
を食べさせる事前団体の存在や、食品会社はコーン・シリアル
のパッケージに子供の飢餓を根絶させるキャンペーンの表示
をしているなど、 先進国でありながら貧富の格差で貧困国並
みの暮らしがあることの報告から、スタートする。
読んでいて、正直、目眩がした。単純に日本と比較するのは
どうかとも思うが、欧州の左派勢力の迫力は、我が国のそれ
と比べて桁違いな気がする。著者は言う、「もはや右対左の
時代ではない。下対上の時代だ」と。わが国でも奨学金の
返済負担や、地方経済疲弊、ワーキングプアなどの問題が
取り上げられるが比較するとどうも温度差がある気がする。
気になったので聖書を紐解くと、「わたしの目にはあなたは高価で
尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)や、「わ
たしはあなたがどこに行っても、あなたと共にいる。あなたを守る。
あなたをこの土地に連れ帰る。わたしはあなたを決して見捨てない」
(創世記28章)などから欧米社会における人間性の尊厳の基盤とな
るものが読み取れるものの、わが国古来の人間尊厳の基盤は何で
あったか? と、みかこ氏の同書を読み返しながら思案させられた。
欧州の地べたから、日本を、そして貧困白人層の問題を背景に宿す
トランプ政権の登場の経緯を伺うことが出来る、ノンフィクションです。
の討論と比べて作文答弁で面白みがなく、その
後、英国式を参考に議会答弁を改善(結果は別
として)した記憶があるが、僕個人の感覚では日
本国内でヨーロッパ関係の書籍は企画しても需
要が少ない気がする。
著者のブレイディみかこ氏は、96年から英国在
住の保育士兼ライターで、 本書は2014年3月か
ら、2016年2月までの英国と欧州の混迷を「労働
者階級(地べた)」からレポートした一冊です。
この本の題名を見て、ピンときた人も多いと思いますが、題名の
元ネタはUK音楽史上に名を残すパンク・ロックバンド、ザ・クラッ
シュの名曲『ロンドン・コーリング』です。著者自信も日本在住の
ころからパンク・ロックに傾倒(特にジョン・ライドン)しており、政
治のルポながら同書の節々で述べる意見には、パンクの精神が
打ち出されているのが特徴です。
ここでいうパンク精神とは一般的に次の意味を指すと思う。
Anyone Can Do It=誰だってやれる.
Do It Yourself=既成概念に囚われずに
貧困でも尊厳はあるとする、キリスト教文化が根底にある欧米の
社会は、特に英国における労働者階級ヒーローや、生活保護の
申請も今は他人の力を借りるが、次を目指し頑張ろうとする態度
と見るが、逆に日本は貧困は恥とする意識が先立つのか、申請
すら躊躇うものが多いし、著者の次の論点は実に鋭い。
イエス・キリストというナザレの日雇い大工は「人はパンだけで生きて
いるのではない」と言った。欧米ではそれが「パンだけでなく薔薇もく
ださい」という「パンと薔薇」(引用者注釈:プロテスト・ソング)の歌詞
につながっていくのだが、日本人の「米と薔薇」は米ばかりこだわり
すぎて、薔薇も米の変形だと思っていたかもしれない。
(中略)
だが、薔薇とはそんなものでない。ときには米を食らうことを拒絶する
ほど厳かで烈しいものであり、テーブルの上から垂れてくる誰かの食
べ残しを受け取ることを良しとしないものだ。
同書は英国の貧民街では、一日三食を食べることが出来ない
子供たちのために学校やコミュニティセンターで、無料で朝食
を食べさせる事前団体の存在や、食品会社はコーン・シリアル
のパッケージに子供の飢餓を根絶させるキャンペーンの表示
をしているなど、 先進国でありながら貧富の格差で貧困国並
みの暮らしがあることの報告から、スタートする。
読んでいて、正直、目眩がした。単純に日本と比較するのは
どうかとも思うが、欧州の左派勢力の迫力は、我が国のそれ
と比べて桁違いな気がする。著者は言う、「もはや右対左の
時代ではない。下対上の時代だ」と。わが国でも奨学金の
返済負担や、地方経済疲弊、ワーキングプアなどの問題が
取り上げられるが比較するとどうも温度差がある気がする。
米と薔薇、すなわち金と尊厳は両立する。米をもらう代わりに
薔薇をすてるわけでもないし、米を求めたら薔薇が廃るわけで
もない。むしろわたしたちは、薔薇を胸に抱くからこそ、正当に
与えられてしかるべき米を要求するのだ。
気になったので聖書を紐解くと、「わたしの目にはあなたは高価で
尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)や、「わ
たしはあなたがどこに行っても、あなたと共にいる。あなたを守る。
あなたをこの土地に連れ帰る。わたしはあなたを決して見捨てない」
(創世記28章)などから欧米社会における人間性の尊厳の基盤とな
るものが読み取れるものの、わが国古来の人間尊厳の基盤は何で
あったか? と、みかこ氏の同書を読み返しながら思案させられた。
欧州の地べたから、日本を、そして貧困白人層の問題を背景に宿す
トランプ政権の登場の経緯を伺うことが出来る、ノンフィクションです。
2017年10月7日土曜日
【漫画推薦】30歳OLと12歳美少年小学生の孤独と名前の無い関係性が織り成す物語 『私の少年』
宝島社このマンガがすごい2017<オトコ編>で
第2位にランクイン。連載開始されるやいなや
「漫画史上最も美しい第一話」と絶賛、書店員
の評価も高い声が相次ぐ作品との情報が気に
なり、僕も手に取りました。
スポーツ用品会社に勤める、多和田聡子(30
歳)の朝は体温計から始まる。なんとなく続け
8年目になるが、やめられないまま。会社には
上司で大学生時代に彼氏だった椎川がいて彼
の言動が気に障る日々。
ある夜、椎川からの仕事飲みを断った聡子が
公園で缶ビールを憂さ晴らしに飲んでいるとこ
ろにサッカーボールが転がってきた。フットサー
クル所属だった彼女はほろ酔いと半分条件反
射的にリフティングの実技指導をしてしまう。
しかし、ボールの持ち主は毎朝通勤途中でサッ
カーの練習をする男の子と思っていたが、彼は
美少女と見まがうほどの美少年だった。
ある別の夜、再び公園を偶然に通った聡子
は、不審者に腕を捕まれている少年を目撃し
助ける。そして彼女は、12歳の少年……早見
真修(ましゅう)に、毎晩サッカーを教える約束
をする。
ここに2人の其々の孤独と名前の無い関係性
と感状が寄り添い会う不思議な物語が始まり
ます。
著者によると、「美しいものを、自分の手が届かないところ
からじっとのぞき見たい」というところからスタートしたお話
です(このマンガがすごいWEBより)とのことで、丁寧な心理
と感状の描写、年相応の感状に揺れる聡子のモノローグや
真修の表情の変化(子供らしさからオトコらしさまで)などの
微細な要素が、じっとのぞき見たい、というよりも2人の日常
を静かに見守りたくなる作品に仕上げています。
特に第1話で登場する毎朝の体温計測定というセンシティブ
な要素が最後にふたりの心の中にある孤独を浄化していく
流れは、美麗で秀逸だと思います。この作品は他にも携帯
ストラップや、ラムネ瓶のビー玉、花火、カーラジオ(岡本真
夜、ジュディアンドマリーという選曲はふたりの世代間表現と
して、さりげなく上手いなぁと思う)など様々な小さい要素が
物語りを巧く彩っていて、自然に感情移入させられます。
このあたりは、女性作家らしい視点の為せる技ですね。
もちろん、ふたりの衝撃的年齢差からくる世間体などのシリ
アスさも描かれていますが、恋人でも家族でもないがお互い
にとって、お互いが必要なのだと思わせてしまうのは、著者
の表現力もさることながら、愛着のなせるワザで、主人公の
聡子に「あの子に色々与えようとしたつもりが 私のほうが
あの子からたくさんもらってしまってたんです」と人間関係と
心の琴線に触れるセリフを言わしめていることからも、この
作品を安易におねショタ漫画に分類するのはどうかと思い
ます。
余談ながら、著者のスマホにはリバー・フェニックスや『太陽
と月に背いて』の頃のレオナルド・ディカプリオの画像がある
とのことで、映画ファンの視点でこの作品を読んでいくうちに
彼女は良い教養を持っている(純粋に褒め言葉。リバー・フェ
ニックスがまだ生きていたら映画と美青年の歴史がすこし変
化したかもしれないと、個人的には思ってます) からこそ描
くことが出来た、早見真修少年の純真さとカワイイらしさなの
だろうと納得しました。
月刊アクションで連載中で、今後の展開が楽しみです。
第2位にランクイン。連載開始されるやいなや
「漫画史上最も美しい第一話」と絶賛、書店員
の評価も高い声が相次ぐ作品との情報が気に
なり、僕も手に取りました。
スポーツ用品会社に勤める、多和田聡子(30
歳)の朝は体温計から始まる。なんとなく続け
8年目になるが、やめられないまま。会社には
上司で大学生時代に彼氏だった椎川がいて彼
の言動が気に障る日々。
ある夜、椎川からの仕事飲みを断った聡子が
公園で缶ビールを憂さ晴らしに飲んでいるとこ
ろにサッカーボールが転がってきた。フットサー
クル所属だった彼女はほろ酔いと半分条件反
射的にリフティングの実技指導をしてしまう。
しかし、ボールの持ち主は毎朝通勤途中でサッ
カーの練習をする男の子と思っていたが、彼は
美少女と見まがうほどの美少年だった。
ある別の夜、再び公園を偶然に通った聡子
は、不審者に腕を捕まれている少年を目撃し
助ける。そして彼女は、12歳の少年……早見
真修(ましゅう)に、毎晩サッカーを教える約束
をする。
ここに2人の其々の孤独と名前の無い関係性
と感状が寄り添い会う不思議な物語が始まり
ます。
著者によると、「美しいものを、自分の手が届かないところ
からじっとのぞき見たい」というところからスタートしたお話
です(このマンガがすごいWEBより)とのことで、丁寧な心理
と感状の描写、年相応の感状に揺れる聡子のモノローグや
真修の表情の変化(子供らしさからオトコらしさまで)などの
微細な要素が、じっとのぞき見たい、というよりも2人の日常
を静かに見守りたくなる作品に仕上げています。
特に第1話で登場する毎朝の体温計測定というセンシティブ
な要素が最後にふたりの心の中にある孤独を浄化していく
流れは、美麗で秀逸だと思います。この作品は他にも携帯
ストラップや、ラムネ瓶のビー玉、花火、カーラジオ(岡本真
夜、ジュディアンドマリーという選曲はふたりの世代間表現と
して、さりげなく上手いなぁと思う)など様々な小さい要素が
物語りを巧く彩っていて、自然に感情移入させられます。
このあたりは、女性作家らしい視点の為せる技ですね。
もちろん、ふたりの衝撃的年齢差からくる世間体などのシリ
アスさも描かれていますが、恋人でも家族でもないがお互い
にとって、お互いが必要なのだと思わせてしまうのは、著者
の表現力もさることながら、愛着のなせるワザで、主人公の
聡子に「あの子に色々与えようとしたつもりが 私のほうが
あの子からたくさんもらってしまってたんです」と人間関係と
心の琴線に触れるセリフを言わしめていることからも、この
作品を安易におねショタ漫画に分類するのはどうかと思い
ます。
余談ながら、著者のスマホにはリバー・フェニックスや『太陽
と月に背いて』の頃のレオナルド・ディカプリオの画像がある
とのことで、映画ファンの視点でこの作品を読んでいくうちに
彼女は良い教養を持っている(純粋に褒め言葉。リバー・フェ
ニックスがまだ生きていたら映画と美青年の歴史がすこし変
化したかもしれないと、個人的には思ってます) からこそ描
くことが出来た、早見真修少年の純真さとカワイイらしさなの
だろうと納得しました。
月刊アクションで連載中で、今後の展開が楽しみです。
2017年10月5日木曜日
【書籍推薦】若きフェルメールとレーウェンフックの友情と芸術ミステリーを描く 『フェルメールの街』
英蘭戦争に揺れる17世紀オランダ。若き職業画
家ヨハネス・フェルメールとのちに微生物学の礎
となる科学者アントニー・レーウェンフックは、港
町デルフトで、夢目指して動く日々。しかし、陶器
の名産地であるこの町で、陶工が次々と姿を消
す事件が発生する。
ある日、フェルメールとレーウェンフックのふたり
は、運河に長い棒を突き刺して渡る遊び(後の
フィールトヤッペン競技)の最中に対岸で、遺体
を発見する……。
最初は本を手にしたときは、「光の魔術師」、「微生物学の父」という
海の遥か彼方にあるヨーロッパの歴史上の大人物を日本人作家が
どう動かすか非常に気にしましたが、芸術ファンを堪能させてくれる
要素(あの名画たちの原風景)と、フェルメールとレーウェンフックの
時を越える友情、オランダ東インド会社の隆盛などの史実を盛り込
みながら、最後の謎解きへ収束していく過程は精緻で、良質の青春
アートミステリーに仕上がっています。
思わずにんまりとしたのは、著者が少年時代のフェルメールをガキ
代将で子分に取り巻かれていたと表現し、青年になってからは幼馴
染(元・子分)と酒を交わして、次の瞬間、運命の恋に落ちるという設
定です(しかし、これが一癖も二癖もある事情が付いた恋なのですが
元来オランダは自由・個人主義・国際市場を生きてきた国柄ですし)。
こんな彼でなければ、あんな観察力と感性のある作品は不可能だと
思わず想像の世界で納得させられてしまいました。また、上手なタイ
ミングで、後に彼が「微生物学の父」と言われる若きレーウェンフック
の観察力が発揮されるシーンが挿入されたり、日本やオリエンタリズ
ムとオランダの関係が終盤で自然に絡んでくる話のくだりは見事です。
ところで、フェルメールとレーウェンフックの友好・交流を示す記録文章
は存在していませんし、間接証拠止まりですが、フェルメールの作品を
鑑賞する前に、この小説を読んでおくと、また違った新鮮な感覚で楽し
めると思います。
家ヨハネス・フェルメールとのちに微生物学の礎
となる科学者アントニー・レーウェンフックは、港
町デルフトで、夢目指して動く日々。しかし、陶器
の名産地であるこの町で、陶工が次々と姿を消
す事件が発生する。
ある日、フェルメールとレーウェンフックのふたり
は、運河に長い棒を突き刺して渡る遊び(後の
フィールトヤッペン競技)の最中に対岸で、遺体
を発見する……。
最初は本を手にしたときは、「光の魔術師」、「微生物学の父」という
海の遥か彼方にあるヨーロッパの歴史上の大人物を日本人作家が
どう動かすか非常に気にしましたが、芸術ファンを堪能させてくれる
要素(あの名画たちの原風景)と、フェルメールとレーウェンフックの
時を越える友情、オランダ東インド会社の隆盛などの史実を盛り込
みながら、最後の謎解きへ収束していく過程は精緻で、良質の青春
アートミステリーに仕上がっています。
思わずにんまりとしたのは、著者が少年時代のフェルメールをガキ
代将で子分に取り巻かれていたと表現し、青年になってからは幼馴
染(元・子分)と酒を交わして、次の瞬間、運命の恋に落ちるという設
定です(しかし、これが一癖も二癖もある事情が付いた恋なのですが
元来オランダは自由・個人主義・国際市場を生きてきた国柄ですし)。
こんな彼でなければ、あんな観察力と感性のある作品は不可能だと
思わず想像の世界で納得させられてしまいました。また、上手なタイ
ミングで、後に彼が「微生物学の父」と言われる若きレーウェンフック
の観察力が発揮されるシーンが挿入されたり、日本やオリエンタリズ
ムとオランダの関係が終盤で自然に絡んでくる話のくだりは見事です。
ところで、フェルメールとレーウェンフックの友好・交流を示す記録文章
は存在していませんし、間接証拠止まりですが、フェルメールの作品を
鑑賞する前に、この小説を読んでおくと、また違った新鮮な感覚で楽し
めると思います。
2017年10月2日月曜日
【漫画推薦】刑期100年を終えた男と、世話焼き娘が60年代のLAで運び屋コンビを組む『レディ&オールドマン』
オノ・ナツメさんの漫画の特徴は、何を今更と
言う向きもあるかとは思いますけど、海外の漫
画やアートに強く影響を受け、まるで外国映画
を見るような大人な雰囲気とテンポの作風さに
あります。
今回紹介する『レディ&オールドマン』はその
作風を遺憾なく発揮し、60年代のアメリカ、ロサ
ンゼルスのオールディーズな雰囲気を同年代
映画のように描きます。
舞台は63年の米国・ロサンゼルス郊外。
好奇心旺盛でお節介焼きなダイナー(食堂)の
娘、シェリー・ブライトは、彼氏と別れたある日
の午後、100年の刑を終えて出所したという「老
人」と出会い、ひょんなことから自宅のダイナー
に連れて帰ることになる。旧収容棟の「最後の
住人」と噂される彼の正体は何と……。
ここから物語は動き出す。
時に事件に巻き込まれ、時に事件を解決しな
がら、何も出来ない男と、好奇心で行動派の娘
の2人はある成り行きから「運び屋」として相棒
同士となり、街から街へと渡り歩く。
彼らの通り名は“レディ&オールドマン"!
静かに迫る、謎の追っ手の追跡を逃れながら
男は、自分自身の過去を見つけることが出来る
のだろうか?
現在、ウルトラジャンプで連載中で、話の盛り上がりもこれから
のところですが、ウルトラジャンプという青年誌のなかで60年代
の米国(戦後の穏便な平穏さから、若者たちのカウンターカル
チャーの扉が開いた時代ですね) の臭いがプンプンする作品
を描いているのは、逆に新鮮で斬新に思えます。ジョージ・クル
ーニーの映画『マイ・インターン』で主人公が述べる「クラシック
は不滅だ」はクラシックの普遍さを説いた台詞ですが、普遍的
作風の中で織り成す主人公2人の凸凹な相棒関係も魅力的で
す。
片方は100年の刑務を終えた静かな年季を感じさせる男、また
一方はまだ人生これからで度胸と好奇心満載の19歳の小娘。
余談ながら、作中にスティーブ・マックイーンやレコードだけが
上陸したばかりで米国ではまだ無名のビートルズがちらっと
登場したり、主人公がエルヴィス・プレスリーのことを知らない
など、作品の時代感と独自性を打ち出す描写にも注目です。
これからも続きから目が離せない作品です。
言う向きもあるかとは思いますけど、海外の漫
画やアートに強く影響を受け、まるで外国映画
を見るような大人な雰囲気とテンポの作風さに
あります。
今回紹介する『レディ&オールドマン』はその
作風を遺憾なく発揮し、60年代のアメリカ、ロサ
ンゼルスのオールディーズな雰囲気を同年代
映画のように描きます。
舞台は63年の米国・ロサンゼルス郊外。
好奇心旺盛でお節介焼きなダイナー(食堂)の
娘、シェリー・ブライトは、彼氏と別れたある日
の午後、100年の刑を終えて出所したという「老
人」と出会い、ひょんなことから自宅のダイナー
に連れて帰ることになる。旧収容棟の「最後の
住人」と噂される彼の正体は何と……。
ここから物語は動き出す。
時に事件に巻き込まれ、時に事件を解決しな
がら、何も出来ない男と、好奇心で行動派の娘
の2人はある成り行きから「運び屋」として相棒
同士となり、街から街へと渡り歩く。
彼らの通り名は“レディ&オールドマン"!
静かに迫る、謎の追っ手の追跡を逃れながら
男は、自分自身の過去を見つけることが出来る
のだろうか?
現在、ウルトラジャンプで連載中で、話の盛り上がりもこれから
のところですが、ウルトラジャンプという青年誌のなかで60年代
の米国(戦後の穏便な平穏さから、若者たちのカウンターカル
チャーの扉が開いた時代ですね) の臭いがプンプンする作品
を描いているのは、逆に新鮮で斬新に思えます。ジョージ・クル
ーニーの映画『マイ・インターン』で主人公が述べる「クラシック
は不滅だ」はクラシックの普遍さを説いた台詞ですが、普遍的
作風の中で織り成す主人公2人の凸凹な相棒関係も魅力的で
す。
片方は100年の刑務を終えた静かな年季を感じさせる男、また
一方はまだ人生これからで度胸と好奇心満載の19歳の小娘。
余談ながら、作中にスティーブ・マックイーンやレコードだけが
上陸したばかりで米国ではまだ無名のビートルズがちらっと
登場したり、主人公がエルヴィス・プレスリーのことを知らない
など、作品の時代感と独自性を打ち出す描写にも注目です。
これからも続きから目が離せない作品です。
【書籍推薦】極限に挑む男と野良犬が起こした奇跡の感動話 『ジャングルの極限レースを走った犬アーサー』
2014年のアドベンチャーレース世界選手世間に
参加し、目指すは優勝のスウェーデンチームの
なかに著者で隊長のミカエル・リンドノート氏は
奇跡の友情を経験する。標高7000メートル、全
長700キロメートルを走破しなければならない過
酷で、泥まみれ、傷まみれのレースで彼が経験
した軌跡の友情は、道中で出会った一匹の野
良犬だった。これは極限下を生きてきた著者と
一匹の犬の共鳴するかのような出会いと交流を
描くノンフィクションです。
少年時代から、お前は弱いとずっと言われ続けてきた著者の
リンドノート氏は、子供の頃はプロのホッケー選手になること
を夢見てきた少年だった。しかし、1993年のある日、コーチか
ら戦力外通告を受けた少年時代の彼はすっかり打ちひしがれ
た。生まれつきの才能があるわけでなかったが、彼はスポーツ
を心から愛し、勝ち負けには徹底的にこだわった。
やがて兵役義務の年齢が来ると彼は最長15ヶ月の軍事訓練
を選択し、レンジャー訓練も乗り越える。あのアイスホッケーの
件があって以来、自分は何かを成し遂げられる存在であること
を、父親と自分に証明するためにだった。兵役を終え、しばらく
すると彼は自分を虜にするスポーツ、アドベンチャーレースに出
会うのだった。
このアドベンチャーレースは、過酷な地形のトレッキングにオリエ
ンテーリングの要素を加え、サイクリング、急流のカヤック下りな
どを組み入れており「やるような人間はまともじゃない!」競技と
されている。
この作品は、こんなタフネス精神の持ち主だが、いままで犬を
飼おうなんて一度も思ったことのないリンドノート氏と、ペットの
保護意識が希薄だったエクアドルを傷だらけで生きてきた野良
犬アーサーの忠犬ぶりさと間抜け犬ぶりさの程よいバランスが
織り成す、「北欧版の忠犬ハチ公」かもしれない。すべての動物
好き(特に犬好き)にお薦めの一冊と思います。
極限を生きてきたもの同士が、レースを通して心で通じ合い、最
後に絆以上のものを得て、エピローグへと走っていく姿は、ペット
の飼育放棄が散見される日本において、人間と動物とのあるべ
き関係を見せているようで、読者の心を打つことでしょう。
参加し、目指すは優勝のスウェーデンチームの
なかに著者で隊長のミカエル・リンドノート氏は
奇跡の友情を経験する。標高7000メートル、全
長700キロメートルを走破しなければならない過
酷で、泥まみれ、傷まみれのレースで彼が経験
した軌跡の友情は、道中で出会った一匹の野
良犬だった。これは極限下を生きてきた著者と
一匹の犬の共鳴するかのような出会いと交流を
描くノンフィクションです。
少年時代から、お前は弱いとずっと言われ続けてきた著者の
リンドノート氏は、子供の頃はプロのホッケー選手になること
を夢見てきた少年だった。しかし、1993年のある日、コーチか
ら戦力外通告を受けた少年時代の彼はすっかり打ちひしがれ
た。生まれつきの才能があるわけでなかったが、彼はスポーツ
を心から愛し、勝ち負けには徹底的にこだわった。
やがて兵役義務の年齢が来ると彼は最長15ヶ月の軍事訓練
を選択し、レンジャー訓練も乗り越える。あのアイスホッケーの
件があって以来、自分は何かを成し遂げられる存在であること
を、父親と自分に証明するためにだった。兵役を終え、しばらく
すると彼は自分を虜にするスポーツ、アドベンチャーレースに出
会うのだった。
このアドベンチャーレースは、過酷な地形のトレッキングにオリエ
ンテーリングの要素を加え、サイクリング、急流のカヤック下りな
どを組み入れており「やるような人間はまともじゃない!」競技と
されている。
この作品は、こんなタフネス精神の持ち主だが、いままで犬を
飼おうなんて一度も思ったことのないリンドノート氏と、ペットの
保護意識が希薄だったエクアドルを傷だらけで生きてきた野良
犬アーサーの忠犬ぶりさと間抜け犬ぶりさの程よいバランスが
織り成す、「北欧版の忠犬ハチ公」かもしれない。すべての動物
好き(特に犬好き)にお薦めの一冊と思います。
極限を生きてきたもの同士が、レースを通して心で通じ合い、最
後に絆以上のものを得て、エピローグへと走っていく姿は、ペット
の飼育放棄が散見される日本において、人間と動物とのあるべ
き関係を見せているようで、読者の心を打つことでしょう。
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